抑制のきかない豚には自由意志がない

Are We Free?: Psychology and Free Will

Are We Free?: Psychology and Free Will

Baer, J., Kaufman, J. C., & Baumeister, R. F. (Eds.). (2008). Are We Free? Psychology and Free Will. Oxford University Press, USA.
2 Nichols, S. "Psychology and The Free will debate" (えめばら園)
10 Roediger III, H. R. , Goode M. K., and Zaromb, F. M. "Free Will and the Control of Action" ←いまここ
12 Dennett, D. C. "Some observatoin on the Psychology of Thinking About Free Will" (スウィングしなけりゃ脳がない!)
13 Howard, G. S. "Whose Will, How Free?" (えめばら園)

自由意志は心理学者の思考や著述においてあまり大きな比重を占めていない.Oxford 大学出版の Encyclopedia of Psychology でも,archetypes とか altruism から始まるあらゆる項目を網羅しているのだけれど,自由意志 free will の項目はない.インデックスにもないのだ!自由連想 free association は何度も出てくるのに!
心理学は自由意志のようなものは存在していないという前提に立っているという考えに同意したくもなる.もし好きな時に好きなことをしているだけだとしたら,どうして行動の中に規則性や法則性を探ろうとするのか? これは良い問いなので,多くの実験心理学者は数100ミリ秒ほど自由意志について考えるかもしれないけれど,次の瞬間には,次の実験のデザインについての思索に戻る.こうした問題は哲学者に任せておきたいのだ.
この本も心理学者には読まれないかもしれないけれど,人間行動を研究するものが自由意志についてもっとよく考えるべきだという編集者の考えには同意する.おそらく,自由意志について一番考えるのは,実験が完全にぱーになったときだ.ぼくたちの大事な理論や仮説が予測するようには,被験者がまったく行動してくれないとき,ぼくたちは自由意志を信じだす.
自由意志があるかどうかが本当に問題になるんだろうか? 人間の行動は,信じられないほど,複雑で,Edward O. Wilson は Consilience (1998) の中で,社会科学は「内在的に,物理学や化学よりもはるかにハードで,だから,物理学や化学ではなく,社会科学をハード・サイエンスと呼ぶべきである」と言っている.決定要因が多すぎるのだから,もし人間が自由意志を行為していたとしても,どうやってそれを知ることができるんだろう? 遺伝から環境・文化まで膨大な量の決定要因がある.
(…略)
こうした諸要因は人間行動の決定因子の表層をなではじめただけだ.単純なものであっても人間行動は予測がたいへん難しい.同じ実験の同じ条件のひとびとの中に多くの差異があるのも当然だ.ぼくたちが使う「誤差の分散」は測定誤差だけではなくて,ひとびとの間の多くの差異を反映しているはずだ.こんなに複雑だとしたら,どのようにして自由意志が存在すると知ることができるんだろうか?大釜の中で煮えたぎっている,大量の行動決定要因のひとつにすぎないのか?

自由意志:予備的な考察

  • ここで,この章をやめるべきなのかもしれないけれど,実験心理学のなかには,自由意志に関連する問題に示唆を与えてくれるものがいくつかある
    • 自由意志については,Wikipedia (2006) の「自由意志の問題とは,人間が自らの行為や決定について制御を及ぼしているのかという問題である」という定義を借りる
    • 心理学者は制御については,よく考えてきたので,この定義は都合がよい
    • 自由意志の問題を制御の問題に変換すれば,心理学者も自由意志の存在について語れるかもしれない
  • Benjamin Libet による反応選択パラダイム response-choice paradigm,Gordon Logan らによる停止信号パラダイム stop-signal paradigm,Larry Jacoby らによるプロセス分離パラダイム process-dissociation paradigm,Asher Koriat とMorris Goldsmith による自由/強制報告パラダイム free and forced report paradigm の四つに焦点を当てる
    • 行動の自発的制御の問題を自由意志の問題と同一視してはいけないが,重要な問いに光を当てることはできるはずだ

行為の神経先行物

  • 行動の制御は様々な方法で研究可能だが,単純なタイプの行動制御から始めるのが最良だろう.単純な高度の制御についての最も興味深い研究は,Benjamin Libet (1981) による神経心理学的研究だろう
    • Libet が研究を始めた当時,すでに,運動に先行して,運動前野の上の頭皮で電位の変化が生じることがわかっていた.準備電位 readiness potential として知られている
  • 準備電位は運動より1秒ほど先行することは知られていたが,準備電位と,運動を開始しようとする意識的思考とのタイミングに初めて注目したのがLibet だ
    • Libet は,被験者が行為しようとする意図に意識的にいつ気が付いたか,その行為の意図が準備電位の前に生じるか,後に生じるかを調べようとした
    • 被験者は頭皮に電極を設置され,ランダムな感覚で指を動かすように指示された
    • 指を動かそうとする意図に気づいたときの(特別にデザインされた)時計の針の位置を報告させた
      • 事前のテストで,被験者に弱い電気ショックを与え,そのショックのタイミングを時計の針を用いて報告させることで,時間計測の正確性をテストした.驚くべきことに被験者の回答は 50 ms の範囲で正確だった
  • ほとんどのひとびとは,意識が,神経活動(思考)と運動(行為)の両方を制御していると信じていたので,意識的な意図 → 準備電位の順になると信じていたのだが,実際の結果は,準備電位 → 意識的な意図の順であり,準備電位は意識的な意図に 350 ms 先行していた.意識的な意図は行動に 150 ms 先行していた
  • まず,結果はナイーヴな自由意志の概念―「意識的な意図が運動を引き起こす」―に矛盾する
    • もし行為に相関し先行する神経イベントが,意識的な意図の前に生じるのなら,意識的な意図が行為を引き起こすことはできない
    • しかし,これだけでは自由意志概念の死は決定的ではなく,Libet (1999) は,このデータがある種の自由意志を支持すると議論している
      • 意識的な意図は準備電位の発生より先行していないが,手の運動よりもなお 150 ms 先行している
      • したがって,意識的に意図に気づいてから,運動を抑制するまでに,まだ十分な時間がある
    • つまり,Libet によれば,われわれは自由意志をもっていないかもしないが,「自由拒否」free won’t は持っているかもしれない.既に開始されつつある運動を止めることができる.
    • 反応の抑制を自由意志の核とする Libet の考えは,抑制研究の検証にわれわれを導く
  • Libet の研究やアイディアは哲学と神経科学の両分野で革命的なものだったが,多くの批判も呼んだ.しかしその多くは,知覚のタイミングに関する研究 (Libet et al., 1964) に対するもので,もっとも鋭い批判者も,準備電位が意識的な意図に先行するという知見については否定できないものとみなしている (Pockett, 2004)
  • しかし,著者たちは,Libet に批判的ではないその他の研究者の知見のほうが,より,Libet のアイディアを損なうものであることを発見した.Haggard らは自らの行為を制御していないと信じるように催眠術をかけて Libet と同様の実験を行った (Haggard, Cartledge, Dafydd, & Oakley, 2004)
    • 催眠術群を,自らの行為を知りながら制御した群(制御群),制御しなかった群(非制御群)と比較
      • 制御群はランダムなタイミングでボタンを押すよう指示され,非制御群ではボタンが自動的にランダムに押された
      • 催眠術群は,ボタンは自動的にランダムに押されると伝えられたが,実際は,彼らがボタンをいつ押すかを選択していたのである(!?)
    • 被験者は,ボタン押しがどの程度自発的かどうかを判定し,また,指が動いた時間を推定した
      • 催眠術群と非制御群の被験者は,指の運動は非自発的であると知覚した
      • 制御群の被験者はみずからの運動により強い予期を見せ,知覚された行為のタイミングは実際の行為のタイミングよりも早かった.この効果は,非制御群よりも大きかった
      • しかし,催眠術群の被験者は,実際には自発的運動をしていたのだが,予期の大きさは非制御群と同様であった
    • この結果は,催眠術群の被験者は自らの自由な行為について意識的でないことを示す
  • もし行為が,強制されていると信じていながら,かつ,自由でありうるなら,意識的な意志は自由意志の問いと無関係なのか?
    • 行動を自己制御しているという感覚は,実際の行動の原因とは分離しうるという Wegner の発見と関連した問題 (Wegner, 2003, および当書の担当節).
    • ひとびとは行為を引き起こしつつ,それに気づかないでいることがあるし,実際は外力によってトリガーされている行為を,自ら引き起こしていると考えることもある
    • Wegner は,この発見が自由意志を反駁するものとして考えているが,無意識の意志から発動した行為でさえも,それが外から引き起こされたものでないならば,自由意志の証拠となりうると考えるものもいる (Rosenthal, 2002)
  • 自由意志が無意識でありうると認めることは,Libet の研究の別の批判を和らげる効果もある
    • もし準備電位に似たような無意識の神経活動が「自由拒否」に先行しているのならば,「自由拒否」は自由意志の証拠にならないという批判
    • もし我々が自由意志は無意識でありうるということを認めるならば(Libet (2006) は拒絶しているが),無意識の原因が行為を抑制する可能性によって自由意志の概念が破壊されることはない
    • これは難しい問題なので,自由意志に意識的な決定が必要なのか問題,無意識の決定が自由意志を構成できるのか問題は,他のひとに任せようと思うが,無意識の意志という概念は,ストレートな自由意志の概念からはだいぶほど遠いことは間違いない

単純な行為の抑制

  • 抑制を調べるもっとも単純な方法は,Gordon Logan によって30年前に開発された停止信号パラダイム stop-signal paradigm
    • 被験者は X から O を区別するような単純な課題を繰り返す
    • 一部の試行(たとえば 20%)では,実行信号 (X or O) が出た後,被験者が反応するまでの間に,音が鳴り (停止信号),被験者は区別課題をやめなければならない (Logan, 1994)
    • 実行試行の反応時間は,実行信号 (X or O) が出てから,被験者がボタンを押すまで
    • 停止試行の反応時間は,停止信号が出てから,停止プロセスが生じるまで → 停止は,行動に現れないので,計測不能
      • 停止プロセスの長さは,実行反応時間の分布において,停止試行で停止の生じた確率より左側の分布を見ることで推定できる (Logan, 1994)
      • たとえば,もし,停止試行で停止が生じた確率が 85% で,[下位=遅い側]85% の 実行試行の反応時間が 300 ms 以下だったら,実行信号から停止プロセスの間の時間は 300 ms である;実行信号から 停止信号提示までの遅延を差し引けば,それが,停止試行の反応時間である (Logan, 1994)
    • 多くの研究者が停止信号パラダイムを用いて,さまざまな課題や被験者集団の効果を調べてきた.
      • Libet の課題と停止信号パラダイムを組み合わせた研究によれば,準備電位が見られた後でも,行為は停止が可能であることがわかっている (De Jong, Coles, Logan & Gratton, 1990) 
      • 停止信号パラダイムは「自由拒否」の存在とその限界について何らかの示唆を与える
  • その他の実験について見る前に,基本のフレームワークである競争モデル horse-race morel を説明する
    • 実行プロセスと停止プロセスという競合する二つの心的プロセスがあり,停止プロセスが実行プロセスよりも早く完遂されれば,行為は抑制され,そうでなければ,行為が遂行される
    • このモデルの重要な点は,二つのプロセスが独立であるということで,データはおおよそこの仮定に一致している (Logan, 1994)
    • このモデルに従えば,四つの要素だけが反応の抑制を決定する
      • 実行信号と停止信号との間の遅延 (stop signal delay)
      • 停止プロセスを完遂するのに必要な平均反応時間
      • 実行課題を完遂するのに必要な平均反応時間
      • 実行課題を完遂するのに必要な平均反応時間の分散(停止プロセスの分散も関係するが,単純化のためゼロとする)
    • 重要なのは,両プロセスの開始時間ではなく,相対的な完了時間が抑制を決定する
  • 著者らは,まず,実行信号と停止信号の間の遅延の効果を調査した (Logan, Cowan & Davis, 1984)
    • 実行課題の反応時間より,停止プロセスの反応時間のほうが早い
    • 遅延が大きくなるほど,停止プロセスの反応時間は早くなる
  • 停止プロセスについては,多くの実験を通じて一貫した知見が得られている
    • さまざまな種類の行為を抑制するのにおおよそ同じくらいの時間を要する (Logan & Cowan, 1984)
    • 離散的な課題(文字の区別)と連続的な課題(タイピングなど)は同じくらいの容易さで抑制できる
    • 停止プロセスの反応時間の被験者間の分散は比較的小さく,だいたい 200 ms ほどで行為を抑制できる (Logan & Cowan, 1984)
  • さまざまな被験者集団間での停止プロセスも調査されてきた
    • 衝動性の高い大学生は,衝動性の平均的な大学生よりも,停止プロセスが長い (Logan, Schachar & Tannock, 1997).実行課題の反応時間には差がないので,認知プロセス全般が遅くなっているわけではない
    • ADHD の子供は普通の子供とくらべ,停止プロセスが長いが,実行課題でも多くのエラーをする.Stimulant medication による治療を受けている ADHD の子供は実行課題でも停止課題でも,反応時間が早くなり,エラーも少なくなった (Bedard et al., 2003).抑制の失敗は ADHD の問題のひとつでしかないようだ
    • 前頭葉に損傷のある患者は,実行課題と停止課題の双方の反応時間が遅くなるが,停止課題に特異的な遅延は見られない (Dimitrov et al., 2003).前頭葉損傷患者が多くの反応抑制に問題を抱えている事を考えると,これは驚くべき結果.
    • 高齢者は,若者に比べ,実行課題の反応時間が遅くなっているが,停止課題停止課題の反応時間の遅延はより大きい (Kramer et al., 1994; Rush et al., 2006).
  • こうした単純な課題の抑制から制御について何が言えるか?
    • 確かなのは,抑制が,人間の確固たる能力であるということ.人間はあらゆる思考や行為を抑制できる.抑制のタイムコースはさまざまな課題で類似している.単純化して言えば,抑制は人間のもっとも重要な能力のひとつである.抑制能力がなければ,行動に対する制御は不可能だろう (e.g., Hasher, Stoltzfus & Rypma, 1991)

記憶パフォーマンスにおける制御を精査する

  • 上記の発見は人間の行動制御における抑制の働きを明らかにするものであったが,これらの実験は短期間の単純な課題に関するパフォーマンスを説明するのみであることは重要.長期間の複雑で熟慮された行為についてはまだわからない.たとえば,会話で何を言うべきで何を言うべきでないか,筆記試験で何を書くべきか,法廷で目撃者として何を思い出すべきかといった課題.
  • そのような状況では,思い浮かんだ事すべてを単純に話したり書いたりはしないと仮定することはもっともである.むしろ,状況や目標に応じて,意識的で熟慮された方法で,どの情報を差し出し,控えるかを判断している(可能性がある)
    • さらなる仮定として,情報に結びついた主観的経験に応じて,何が情報として想起されるかは異なるだろう
  • 過去を想起するとき,文脈やその時体験した特定の感情に関する詳細を意識的に想起する事があるかもしれない.この場合,情報が特定のイベントの発生に根ざすことは確信できるだろう.あるいは,特定の詳細が,おもいもよらずに,親近感あふれる様で浮かんできたのだが,その情報の源を意識的には思い出せないこともあるかもしれない.こうした場合でも,親近感のみに基づいて詳細を想起すべきかどうかについて,選択が可能なように思われる
    • したがって(特に,過去について想起する際)われわれは自らの日常の思考や行為について,かなりの制御が可能なように思われる
    • しかし,こうした状況で実際どの程度われわれは制御を行っているのだろうか?
  • 一見,認知心理学者はこの問いについて肯定的な答えを最も与えたがらないように思われる.心理学実験においては,どのみち,被験者の行動に自由は与えられていないのだ.どのような反応を被験者がとるかは実験者によって定義され注意深く制御されている.このレンジから外れたものは矯正されるか,はずれ値として除外される.
    • しかし,近年,さまざまな認知課題において制御プロセスの影響を経験的に調べる方法への関心が非常に高まっている
    • 記憶課題における制御を調べる影響力の大きいふたつのパラダイム
      • Larry Jacoby らによるプロセス乖離法 process-dissociation procedure (PDP)
      • Asher Koriat と Morris Goldsmith による自由/強制報告法 free and forced report procedure
    • これらは認知制御に影響を与える多くの変数を明らかにし,定量化を可能にし,自由意志の研究にも寄与するはず
  • PDP は,意識的に制御されたプロセスと無意識的に制御された(あるいは自動的な)プロセスが,それぞれ,記憶課題の成績に影響を与える程度を推定するために用いられる (for a review, see Kelly & Jacoby, 2000)
    • PDP は二つの理論的仮定にもとづく (Jacoby, 1991)
      • 記憶課題のパフォーマンスは,単一の心的プロセスの作動を反映しているのではなく,複数の心的プロセスの産物
      • 諸プロセスの記憶課題への寄与は独立で,実験条件や被験者集団によって分離可能
    • PDP によって明らかになりつつあること:意識的な制御は部分的にしか働かない
  • PDP を実際に用いるには,二種類の心的プロセス(例,意識的 vs. 無意識的,制御された vs. 自動的な)を対立させる対立法 opposing procedure を採用する必要がある
    • たとえば,まず,被験者は語のリスト(例,element)を学習し,その後,語幹穴埋め課題(例,ele___)を行う.
      • 包含条件では,事前に学習した語だけを用いて,語幹を穴埋めするように指示される(正解はelement)
      • 除外条件では,事前に学習しなかった語を用いて,語幹を穴埋めするように指示される(正解は,elephant, elegant, election など)
    • もし除外条件で,事前に学習した語を答えてしまった場合,そのパフォーマンスは自動的な記憶プロセスに影響を受けていることを示唆する
      • たとえば,element の産出が,その語を学習させないベースライン条件と比べ上昇していたら,事前の学習によってその語がプライム(活性化)されていたことを示し,意識的な想起(制御されたプロセス)によってうまく抑制されなかったことを示す
    • 以上のように包含条件と除外条件のパフォーマンスに基づいて二つのプロセスの寄与をそれぞれ定量的に推定できるのが PDP(詳細な計算方法は,Jacoby, Toth and Yonelinas 1993)
  • PDP によって,注意を分割すると意識的な想起は現象するが,無意識的なあるいは自動的な記憶への影響は左右されないことがわかっている (Jacoby et al., 1993).また,訓練された習慣的行動と意識的な想起が手がかりに基づく想起のパフォーマンスに与える影響を PDP の変種を用いて調べた研究もある (Jacoby, 1996)
    • 最初の訓練期間に,被験者は典型的な連合をもつペア(例,knee-bend)を 75%,非典型的な連合を持つペア(例,knee-bone)を 25% 学習する
    • 次に非典型的な連合を持つペアを含む語のペアのリストを学習する
    • 最後に片方の手がかりをもとに,最初のリストに基づいてペアとなる語の穴埋めを行う(例,knee-b_n_)
  • Jacoby らは,典型的なペアの正しい想起 (knee-bend) は意識的な想起と訓練された習慣的反応のどちらによっても可能であり,非典型的なペアを学習した後で誤って習慣的反応を行った場合は,習慣がその反応の基になっていると仮定している.さらに,これらの二つの反応の源は独立であるという仮定も行っている
    • Hay and Jacoby (1996) は,手がかりにもとづく想起のパフォーマンスに対して,意識的な想起と自動的な習慣のそれぞれの寄与を計算した
    • 初期の訓練量は意識的な想起の寄与に影響を与えなかったが,習慣的反応の寄与には影響を与えた
    • 高齢者と若者を比較した研究では,高齢者の意識的な想起の能力は減退しているが,習慣的反応の寄与は同等であることがわかっている (Hay and Jacoby, 1999)
  • これらの研究が示すのは,単一の課題のパフォーマンスに異なる独立の記憶プロセスが関わっているということ.
    • 自由意志に関する問い,すなわち,行動や意思決定に対して制御が可能かどうかに対しては,肯定的な回答を与えるが,どの程度制御が可能なのかについては,別の問題である
    • PDP によれば,ひとびとが純粋な自由意志の発現であるとみなすような行動は,実際は,制御されたプロセスと自動的なプロセス,あるいは,意識的な思考と無意識的な思考の産物である
    • 行動は部分的に自動的で部分的に意識的な制御下にある:「プロセス不純性」process impurity.PDP はそれぞれの寄与を定量化し,影響を与える要素を同定するのに有用

記憶を報告する選択肢を操作する

  • 行動の制御への実験的アプローチとしてもうひとつの影響力ある方法「自由/強制報告法」(Koriat and Goldsmith, 1994, 1996) は,認知課題における反応の質・量を被験者に制御させるもので,報告オプション,すなわち,情報を差し出すか差し控えるかの意思決定の役割の重要性を示す
    • Koriat and Goldsmith (1994) では,一般的な知識問題が,想起形式(「月光ソナタ」の作曲者は誰ですか?)あるいは再認形式(「月光ソナタ」の作曲者は誰ですか? ベートーヴェン・バッハ・チャイコフスキーシューマンブラームス)のどちらかで示されたのち,被験者は自由報告(答えられると思う問題に回答してください)あるいは強制報告(すべての問題に回答してください)のどちらかの指示が与えられた
    • 自由報告は,被験者にどの問題に答えるか,どの情報を回答として差し出すかを選択する自由を与える一方で,強制報告は,被験者にそのような自由を与えない(したがって,意識的および自動的な影響の双方が関与するはず)
    • 正答数と正答率を定量
  • 結果は,強制報告は自由報告と比べて,正答数を増やすことはなかった.強制されることで想起の閾下にある回答を産出したり,あるいはランダムな推測をしたりすることによって,追加的な正答を思いつくかもしれないという予測からすると,これは驚くべきこと
    • 対照的に,自由報告は想起・再認の両課題で記憶の正確性(正答率)を向上させた
    • この結果は,心理学実験においてより慣習的な,語のリストの想起・再認でも再現された
  • これらの初期の研究が示すのは,ある時点において引き出せる情報量に対してひとびとはほとんど制御できないということ
    • 被験者により多く反応するように促すことによって想起の基準を変更させても,正しく想起できる情報量は増大しない (Bousfield & Rosner, 1970; Roediger & Payne, 1985; Roediger, Srinivas, & Waddil, 1989)
      • つまり,被験者に記憶報告のなんらかの制御を許しても,引き出すことのできる情報がどの程度正確であるかは影響を受けない
    • 一方で,間違いやすそうな回答を差し控えることで,情報の正確性をある程度制御することは可能である
  • より重要な Koriat and Goldsmith (1994) の発見は,回答の正確性への動機づけを変化させることで,正確性を向上させることが可能であるということ
    • 一般的知識課題に対する自由回答において,被験者は,正答に対して高いインセンティヴか,中程度のインセンティヴのどちらかを与えられた
      • 中程度のインセンティヴ条件では,正答の報酬と誤答のペナルティは同等であり,高いインセンティヴ条件では,正答の報酬より誤答のペナルティが大きい
    • 正答へのインセンティヴを上げることで,正確性は向上したが,代わりに,正答量は減少した
      • 曖昧な回答を差し控えることで正確性が向上するため,質と量のトレード・オフが生じる
      • 回答の候補を無意識的にスクリーニングするプロセス,あるいは,モニタリングの効率性は完全ではないため,回答量が減少するコストを生む
  • Koriat and Goldsmith (1996) は,主観的な確信度とモニタリングの効率性といった要素がどのように記憶課題のパフォーマンスに影響を与えるかを調べた
    • 被験者はまず一般的知識問題に想起あるいは再認のどちらかの形式で強制回答し,回答の確信度を評定した.その後に,同様の問題に高あるいは中程度のインセンティヴを与えられ自由回答した
  • 先行研究と同様に,インセンティヴを高めることで,質と量のトレード・オフが生じることが確認されるとともに,自由回答において被験者は確信度の強さに応じて回答を差し出すことが分かった
    • 被験者は,過去を想起する際,正しいと思われる主観的確率の高い反応が出力されることを許す制御閾値を適用していると解釈.反応がこの閾値を超えない場合は,出力が差し控えられる
    • 正確性へのモチヴェーションを増加させることで,記憶の正確性は向上するが,それによって高い制御閾値が課されることになる
  • 判断が反応基準に基づいてなされるという提案は新しいものではなく,信号検出理論 (signal detection theory: SDT; Green & Swets, 1966; Wixted & Stretch, 2004) も同様
    • SDT は,たとえば想起課題において,あるアイテムの親近性や強度が反応閾値を超えた場合に「見た」と判断し,下回る場合に「見ていない」と判断すると想定する
    • しかし,SDT の有効性は強制報告の場合のみに限定されるのに対し,自由/強制報告法はそれぞれの条件下での反応基準の変化を計測することができる
    • Tulving (1993) が言うように,想起された事象を報告するかどうかを決定する「変換閾値」conversion threshold は条件によって上下する
  • モニタリングの効率性に関しては,正答と誤答を区別する能力が低いときに,正確性を向上させる能力が損なわれるのではないかと考えられる
    • 実際,被験者が「ひっかけ」問題(オーストラリアの首都はどこでしょう?)に回答しようとしたときは,モニタリングの効率性が低くなり,結果として,自由回答時の報告の制御による正確性の向上が失われることがわかった (Koriat and Goldsmith, 1996, 実験2)
    • 被験者は主観的確信度に基づいて反応を行おうとするが,ひっかけ問題では,主観的確信度は正確な反応のための良い指標ではなくなってしまう
    • 理論的には,モニタリングの効率性が完全であれば,質と量のトレード・オフは生じない
  • SDT では,主観的確信度は記憶の強度と同一視されるが(主観的確信度判断を用いて ROC カーブを描く),Koriat and Goldsmith の理論的枠組みでは,主観的確信度が信頼できる想起の基盤ではないような状況を扱うことができる
    • 勢ぞろいした容疑者の中から,目撃者の証言に基づいて,犯人を同定することを想定してみよう
    • 主観的確信度は正確な同定のための信頼できるガイドではないことが示されている (for a brief review, see Wells, Olson, & Charman, 2002)
      • 目撃者に強化(「ぐっじょぶ,君は良い目撃者だ」)を与えることで,正確性を向上させることなしに主観的確信度を上げることができる (Wells & Bradfield, 1999)
      • 記憶の誤り[の可能性?]について何度も尋ねても,誤想起を修正することがないどころか,誤想起への確信度を高めてしまう (Shaw, 1996; Shaw & McLure, 1996)
  • Goldsmith and Koriat (1999) は,近年,記憶の報告を制御する別の方法,「粒度」grain sizeの制御,すなわち,反応の一般性あるいは詳細さのレベル,を検証した
    • たとえば,「いつ強盗事件が起こったのか?」と尋ねることで,より正確になるような枠組みで回答するようになるかもしれない(「午前11時30分です」と答えるよりも「朝おそくです」)
    • しかし,同時に,あまりに正確性を追求すると,情報量が減少する(「第二次世界大戦は20世紀のどこかで発生した」)
    • 粒度の選択は,正確性と情報量との競合に対する被験者の妥協として生じることが示されている (Goldsmith & Koriat, 1999; Yaniv & Foster, 1995)
  • Koriat and Goldsmith によれば,記憶報告に対する制御は,目標や環境によって変化する個人の制御閾値によって決定されている.この制御プロセスに影響を与える要素を量的に検証するために,Koriat and Goldsmith (1996) は quantity-accuracy profile (QAP) と呼ばれる手続きを開発した
    • QAP は,個々人の差し控えのレベルとモニタリングの効率性に依存する制御閾値で決定される,反応量と正確性を総合した指標
    • QAP は単に量と正確性を記述するのみならず,モニタリングの効率性と制御の推定値を与え,実験状況における被験者の目標やインセンティヴを考慮することを可能にする(粒度はまだ組み込まれていない)
  • Koriat and Goldsmith (1996) の枠組みは,子供や高齢者や統合失調症患者に適用されてきた
    • 8-9歳の子供は自由報告によって記憶報告の正確性を向上させたが,数歳上の子供には量と正確性の双方で及ばなかった (Koriat et al., 2001)
    • 高齢者は強制報告から自由報告に切り替えた際の正確性の向上が,若者に比べて小さかった (Jacoby, Bishara, Hessels & Toth, 2005; Kelley & Sahakyan, 2003; Meade & Roediger, 2006; Rhodes & Kelley, 2005)
  • 自由/強制報告法によって観察される形態の制御は,すでに候補にあがった反応を,言語報告する直前の比較的おそい段階で,抑制する能力だと考えられる
    • 候補となる反応は意識的な努力によって引き出されたのかもしれないし,無意識的あるいは自動的なプロセス,あるいはその双方によるのかもしれない
      • Koriat and Goldsmith (1995) の枠組みは,当初引き出された情報が無意識的あるいは自動的であることを仮定していない
      • じっさい,想起においてどのような情報をとりだすかをひとびとがコントロールできる (early selection) ことが示されている (e.g., Jacoby, Shimizu, Daniels, & Rhodes, 2005)
    • Koriat and Goldsmith (1995) の枠組みにおいては,制御メカニズムは,反応が生成され選択された後の,門番として働いている
      • 閾値を超えた情報は受動的に言語報告の状態へと到達するし,閾下の情報は出力を差し控えられる
    • この枠組みは,行動に対して完全な意識的制御の能力を有しているというアイディアを脅かすものであり,Koriat and Goldsmith (1996) は記憶の制御に関してより控えめな領域を提唱している

結論
まず,意識的な制御が自由意志と同一視できるのかについては,はっきりと NO と言える.主体が完全に行動を意識的に制御していると考えている場合でさえ,多くの外的要因が行動に影響を与えている.以上で見てきた 4つの問題は自由意志の問題に関係するけれど,問題を収束させるよりも,さらに多くの問いを投げかける.たとえば,反応抑制の能力は強力で,これなしでは自由意志は不可能だと論じることができるかもしれない.なにしろ,抑制能力がなければ,外的であれ,内的であれ,衝動的なものを止めることができなくなってしまうからだ.けれども,自由意志を行動の抑制として直接観察できると前提すれば,自由意志は抑制によって測定できるのだろうか?
この問いは,抑制の障害を示すひとびと―たとえば,子供,高齢者,一部の患者―には痛烈である.もし抑制が自由意志に等しいとする Libet に同意するなら,こうしたひとびとは自由意志の障害に苦しんでいることになる.いっけん,自由意志を計測可能な心的能力とすることや,多くのひとびとを自由意志が欠けているとみなすことは奇妙におもわれる.しかし,よく考えると,こうした考えはすでに非明示的に多くの分野で受け入れられているし,知恵の中にも刻まれている.この原理は,行為が計画されていたかどうかによって被告の扱いを変える法体系に明らかだ.計画殺人は,ほかの状況が同様でも,無計画な殺人と比べてより悪いものとされる.怒りにかられたひとには自由意志がないとみなしているのだ.
Koriat と Goldsmith らの研究に立ち返れば,子供や,高齢者や,あるいは,ぼくたちは,目撃者として「真実を,すべての真実を,そして真実のみを」語るという誓いに相応しいと言えるだろうか? 記憶の正確性をモニタリングするのは難しく,誤った記憶の証言は重大な結果をもたらすというのに? ここでも,自由意志の核が行動の制御にあるのならば,制御の弱いひとびとは自由意志も弱いと言える.では,実践的な課題の制御が向上した場合,自由意志もエンハンスされたと言えるんだろうか? これも一見,奇妙かもしれないが,自発的な制御が自由意志に関与するというのはありふれた考えだ.過食や暴走やアルコール過剰摂取に抵抗する「自己制御」能力への信仰は広範なものだ.ひとびとが臨床心理士に相談する主な理由は,自己制御を得るためだ.この章では扱わなかった臨床における自己制御も自由意志に関する議論では重要になるだろう.自由意志の問題は,それが完全に解決されることはないとしても,常に心理学の一部でなければならない.