記号的思考と人間の道徳の進化

Moral Psychology: The Evolution of Morality: Adaptations and Innateness (A Bradford Book)

Moral Psychology: The Evolution of Morality: Adaptations and Innateness (A Bradford Book)

Sinnott-Armstrong, W. ed. (2007) Moral Psychology: The Evolution of Morality: Adaptations and Innateness

  • Ch.2 Cosmides. L. and Tooby, J. "Can a General Deontic Logic Capture the Facts of Human Moral Reasoning?" (えめばら園
  • Ch.5 Tse, P.U. "Symbolic Thought and the Evolution of Human Morality" ←いまここ
    • 5.1 Dietrich, M.R. Just-So Story for Symbolic Thought? Comment on Tse ←いまここ
  • Ch.6 Sripada, C.S. "Nativism and Moral Psychology: Three Models of the Innate Structure that Shapes the Contents of Moral Norms"
    • 6.1 Harman, G. "Using a Linguistic Analogy to Study Morality" (noscience!)
    • 6.2 Mikhail, J. "The Poverty of the Moral Stimulus" (noscience!)
    • 6.3 Sripada, C.S. "Reply to Harman and Mikhail" (noscience!)
  • Ch.7 Prinz, J. "Is Morality Innate?" (えめばら園

この章はクリエイティヴな思考が爆裂していて,まったく感心しませんでしたよ.
1. 人間の記号的思考はどのようにして現れたか

  • 認知的・知覚的・情動的能力は人間と動物の間で共有されているが,人間をサルから質的に隔てる一群の核となる能力がある.それが自発的に記号を産み出し操作する能力だ.
    • 動物も初歩的な方法で記号使用を学習するように見えるが,それらを自発的に生み出すことはないし,柔軟に生産的に再帰的に用いることはできない.チンパンジーボノボを,恣意的なサインに意味を連合するように訓練することはできるが,そのような連合には多くの試行を必要とする (Pettito & Seidenberg, 1979)
    • 子供は記号とその指示対象を一発学習 one-shot learning することができる.動物でも特殊な一発学習(ガルシア効果)は存在するが,これはハードワイヤードなものに限られる
    • 動物で広く見られる反復による連合学習は,子供による記号の指示対象の一発学習や,子供が記号の指示対象を思いのままに変更させる容易さからは程遠い.こうした学習は,指示と指示対象が共起することなく生じるし,モノをまったく直接経験することさえなくとも生じるのだ.たとえば,「祖先」とか「天国」という言葉の意味の学習.
    • 記号と指示対象との間のこうした恣意的で柔軟な関係こそが,真正の記号的思考の特徴であり,記号的思考を単なる連合から分かつもので,動物が欠いているものだ
    • 統語や言語は,恣意的な記号を非統語的に理解し使用するより根源的な能力よりも最近の発達である.
    • 記号的思考こそが人間を質的に他の動物から隔てるものであり,芸術や音楽,ダンス,類推的推論,抽象的思考,自発的な記号の生成と使用といった人間固有の能力はすべて共通した起源を持つという仮説を前半で検証する
  • ここでの中心的な主張は,チンパンジー的祖先においては機能的に分離しモジュールの様に遮蔽されている (Fodor, 1983) 知覚や運動,認知能力を支える神経回路が,より最近の祖先においては,新しいタイプの注意的結合によって相互作用するようになったというものだ
    • このよう変化によって,これまでモジュール内に閉じていた演算子が,他のモジュールの被演算子に作用するようになった.モジュール間結合およびモジュール間同調が人間固有の認知様式の誕生の基礎をなす

1.1 記号の本性

  • 記号は次の2つの重要な特徴を持つ.
    1. 記号は長期記憶あるいは短期記憶に貯蔵できる心的表象であり,一つ以上の恣意的な表象を表すことができる
    2. 記号は,柔軟に既存のあるいは新しい指示対象に,新しくマッピングしなおすことが可能であり,それには連合を形成するための多くの学習試行は必要としない.記号は恣意的なのである.記号の意味は記号と指示対象の共起の尤度や割合に依存しない
    • 動物は (1) の意味の情報を処理する能力を持つかもしれないが,(2) の意味での記号を処理する能力を持つのは人間だけである.(1) の能力を持つ心はオブジェクトやイベントと指示対象との間に複雑な連合を形成することはできるが,それは「連合的」なものであって,真に記号的なものではない
    • 瞬間的にオブジェクトの指示対象をマッピングしなおす能力は人間固有であり,ぼくたちの認知が真の意味で記号的であることの根底にある

1.2 注意とオブジェクト・ファイル

  • オブジェクト・ファイル (Kahneman, Treisman & Gibbs, 1992) は,さまざまなモダリティにわたる複数の種類の情報を,共通の束ねられた表象へと結合する注意プロセスのメタファー.さまざまな構想があるが (Pylyshyn & Storm, 1998; Carey & Xu, 2001; Scholl, Pylyshyn, & Feldman, 2001)短期記憶バッファの中に一時的なエピソード表象として統合されている,ある空間内で経時的にトラックされた「フィギュア」であるという点は共通している.この空間は,必ずしも物理的空間である必要はなく,たとえば音楽的空間(例:オーケストラの中で特定の楽器をトラックしつづける)でもよい.
    • オブジェクト・ファイルは「オブジェクト」という語を含んでいるが,オブジェクト・ファイルは必ずしも外界のオブジェクトに対応しなくともよく,完全に感覚を剥奪されてもトラックしつづけられるような思考や計画でも良い.
    • オブジェクト・ファイルの内容やラベルは変わっても良いが(鳥か,飛行機か,いや,超人だ!),オブジェクトはそれが結び付けられるオブジェクト・ファイルを有するがゆえに,継時的に単一のオブジェクトであり続ける.
    • オブジェクト・ファイルの内容は中くらいあるいは高次のレベルにあると考えられており,前注意段階の表象は注意を向けることができず,そうした内容はオブジェクト・ファイルに追加することができないとされる (Wolfe, 2003; Treisman & Gelade, 1980).注意は,初期知覚システムによって自動的に処理された後の表象(例:色,テクスチュア,表面,抽象的なタグ,高次の概念情報 (Gordon & Irwin, 2000))にのみ,操作を加えることができる.
    • オブジェクト・ファイルの内容は,ボトムアップの感覚情報だけではなく,高次の認知的操作(心的回転・注意)によっても変化するため,感覚入力自体が変化せずとも,オブジェクト・ファイルの内容は劇的に変化することがある.
  • ここでの重要なポイントは,記号や記号的思考とは,一時的なワーキングメモリの中のものであれ,長期記憶の中のものであれ,それが恣意的な指示対象と記号との結合に関わるため,内在的に注意に関わるものであるということ.
    • 反復や意図的な訓練によって,恣意的な表象が記憶の中で結合することはあるが,これは人間と動物が共有する連合学習の遅いプロセスである.
    • 対照的に,注意を向けることで恣意的な表象を,オブジェクト・ファイルに結合するプロセスは一瞬で生じる.一度,記号と指示対象がチャンク化されれば,単位として想起期され,それ以降は注意なしでも処理できるようになる,しかし,符号化の段階では記号と指示対象のワンショット結合は,それらが共通の,オブジェクト・ファイルを占めているから生じるのである.(オブジェクト・ファイル内での)バインディングこそが注意であり,それゆえに記号は内在的に注意にかかわるものである

1.3 オブジェクト・ファイルはどのように変更されるか:モジュール間結合

  • 動物も人間のようにオブジェクトをモニターしたり選択したり無視したり注意したりするので,人間のオブジェクト・ファイルの類似物は持っているはずだが,人間と動物のオブジェクト・ファイルは異なる.
    • 例えば犬の木に関するオブジェクト・ファイルの内容は,聴覚や触覚や嗅覚と結びついたマルチモーダルなものかもしれないが,あらゆる情報は木に関するかぎりの物であり,それに結び付けられたオブジェクトやイベントを含まない (encapsulation).直接関連しない情報を含まないので,妨害されないという意味では適応的かもしれない.
    • 対照的に人間のオブジェクト・ファイルは注意や記憶に由来するどんな情報でも含みうるもので,真の意味でのモジュール間結合を可能にする.木が「友達のボブ」や「真理」を意味することもありえる.こうした時,オブジェクト・ファイルの中の「木」要素には「現実」,「ボブ」要素には「非現実」といったタグが付いているはずである.そうでなければ,木をボブと間違えてしまう.
    • 認知のモジュール性・遮蔽が動物の心を認知的「ノイズ」や誤表象・妄想・幻覚の危険から守っている
  • 動物は生じるかもしれないイベント,生じたかもしれなかったイベントを内的にモデル化することはできるが,現実世界で生じ得ないことはモデル化する想像力を持たない.想像は恣意的な内容や演算子が共通のオブジェクト・ファイルにダウンロードされた時に生じる(翼を持った木)
    • あるオブジェクトを別のオブジェクトに位置づける演算子へとアクセスすることで新しい表象が創造される
  • 人間の(木に関する)オブジェクト・ファイルは,木に関係するあらゆる情報以外にも,それに関係のない「自分の妻」のような情報も含む事ができる.重要なのは,木のオブジェクト・ファイルに「妻」概念へのラベルあるいはポインターをダウンロードすることが自動的あるいは無意識的に生じうるということ
    • 記号的思考は,内在的に注意にかかわるが,必ずしも意図や意志に基づいて構築されるものではない
    • 想起は人間の記号的思考の基礎的なアーキテクチャの結果である.犬は木や藪を見て,外界や経験においてそれらと直接結びついているもの以外を想起することはない.動物の認知は,記号,想起,メタファーを欠いており,内在的に字義通りな literal ものなのだ

1.4 モジュール間結合が新しいタイプの心的機能障害を生み出した

  • 人間の認知は犬やチンパンジーよりも豊かではあるが,すべてがすべてを想起させるような連合の崩壊の危険や,どれが現実でどれが自己によって産み出されたものかの境界が曖昧になるような幻覚に陥る危険がある
    • 統合失調症やさまざまなタイプの精神疾患は,精神的に健康なものに記号的で隠喩的で創造的で想像的な試行を可能にするような神経システム・認知操作の機能疾患の結果である可能性がある
    • こうした疾患の神経・遺伝的基盤を検証することで,モジュール間結合を生じる神経回路が明らかになるかもしれない

1.5 記号的思考 vs. 統語的思考

  • 統語処理は必然的に記号的であり,記号処理は必ずしも統語的ではないので,記号を使用し認識する能力は言語の進化に先んじていなければならない.言語は本質的に記号の処理と発話に関わる.
    • モジュール間結合仮説によれば,原初的なダンスやアートや音楽やユーモアや隠喩や記号的推論は記号に対する統語的処理よりも早く進化したことになる
    • 原初的な記号は,ものや動物やひとを表す棒や石だったかもしれないし,身体自体が記号として用いられたかもしれない.誰かの真似をすることは,身体と指示対象(他者)とを同じオブジェクト・ファイルに位置づけることを必要とするから
    • 人間の初期のコミュニケーションは,言語よりも,模倣の形をとっていたとする論者もいる (Corballis, 2002; Donald, 1991),そうした記号使用は化石に残らないので,アートの証拠を持ってして記号的推論の始まりだと考えるのは間違い.
  • モジュール間結合によって,オブジェクト・ファイルが他のモジュールからの情報を含むことを可能にした.
    • 最初の結合は注意を必要とするが,一度チャンク化され,長期記憶に貯蔵されれば,注意なしでもこうした記号は使用可能になる
  • モジュール間結合は,原初的な記号的表現の発生以降,長い期間をかけて進化したと考えられる,統語の発生も説明可能である
    • 言語と数は,記号に対する再帰的な操作規則の適用をそのコアに持っている (Chomsky, 1965; Hauser, Chomsky, and Fitch, 2002).再帰的な計算自体は動物でも見られるが(移動中の自分の位置の表象,継時的な運動行為),その計算はモジュール内に閉じている.こうしたモジュール的で領域固有の再帰的計算が,進化の過程で領域一般的なものに進化したのかもしれない (Hauser, Chomsky, and Fitch, 2002)
    • いちど再帰的計算が記号に適用されるようになると,記号は再帰的に結合され,生産的になる.自然淘汰・性淘汰がこの能力に作用し,現在の言語能力を生み出す
    • ここでのポイントは,統語や言語の発生を説明することではなく,記号的認知の発生は統語や言語の発生より先んじていなければならないという主張

1.6 モジュール間神経同調

  • モジュール間結合は認知的な理論であるが,その基礎となる神経基盤についての妄想も役に立つかもしれない.ここでの妄想が間違っていても,前述の認知的アーキテクチャの変化については正しいはず
  • ある種のモジュール間結合はボトムアップに生じる可能性がある.すべての文化にダンスがあるのは興味深く,火星人は人類が 1 Hz ほどの空気の振動に合わせて身体を揺らすのを興味深く感じるはず.また,人類は香りや光や味のリズミカルな振動には身体を同調させない
    • こうした非対称性はモジュール間結合の神経基盤の手がかりになるはずで,ダンスはモジュール間結合によって生じる新奇な行動の最も単純な例と言える
    • 聴覚刺激に反応するニューロン経細胞が,運動ニューロンを同調させることで,ダンスが生じる.こうした同調を可能にする遺伝的変異が生じる前は,ダンスは認知的にも運動的にも不可能だったはずだ.こうした同調は皮質-皮質間の,あるいは,皮質-視床間の興奮性結合が必要なはずで,これは人間固有と思われる.
  • こうした同調は記号的指示対象を含むオブジェクト・ファイルを必要とせず,単にニューロンの活動が同時に活性化すれば良いだけである.
    • ひとのジェスチャーは発話に同期し (McNeull, 1985) ,言語の意味を補足する (Goldin-Meadowm McNeil, & Singleton, 1996) が,これらは前言語的な発話や感情的内容に同調しているのであり,こうしたジェスチャーと発話の同調は,統語的な記号操作や記号的思考の発生以前に生じていた可能性がある (Corballis, 2002; Donald, 1991)
  • モジュール間結合仮説は,刺激が共通の時空間的性質(急峻に変化する,ゆっくりと変化する,強い,弱いなど)を持っていたなら,それらの神経における符号も互いに共通の時空間的性質(特定の周波数やパターンでの発火)を持っているだろうという前提のもとに成り立っている
    • “wawawawa” という聴覚刺激に対する聴覚野の活動は,スムーズで波打つような手の運動や波打ったカーブ(視覚)を同調させ,それらに連合される ⇔ “tiktiktiktik”
  • 神経同調とモジュール間結合は,直接的・間接的な神経結合がある場合のみ生じる.チンパンジーや他の霊長類には存在しない神経結合が人間には存在するはず
    • 単に結合が多いのではなく,種類が違うはずである.チンパンジーではモジュールは,直接結合していないため,比較的独立に機能しているが,人間においては一方向あるいは両方向の軸索結合を持ち,あるいは,視床を介して間接的に結合しているはずである.Diffusiton Tensor Imaging で検証できるね.
  • Ramachandran & Hubbard (2001) は,共感覚は領域間のクロス配線によるもので,それが同時的な知覚を生じさせると論じた.数と色の共感覚者は,数領域と色領域の間の結合を持っているのかも.共感覚は遺伝性で,X 染色体に関連しており (Bailey & Johnson, 1997),神経線維の過剰発生か刈り込みの失敗が関係しているのかも.
    • モジュール間結合は,それぞれのモジュールの神経発火の同期的パターンがゆえに生じるというものなので,共感覚とは直接関係ないかもね

1.7 類推的認知の誕生

  • あるモジュールで表象されたイベントは,他のモジュールで表象されたイベントを同調させ自発的に想起させるため,隠喩や類推に関する人間の能力がモジュール間結合から生じるかもしれない.モジュール間結合仮説によれば,類推の起源は,刺激の性質に反応する神経の同調であるため,類推は文化を超える可能性があることを予測する (Lakoff & Johnson 2003)
    • たとえば,音の大きさや abruptness は,視覚刺激の明るさや abruptness に対応する
    • しかし,モジュール間で神経を同調させるものは刺激の時空間的(強度,急峻さ,連続性など)や物理的特性(ピッチ,色)そのものではないので,神経同調は感覚運動的なものに限定されず,意味的・認知的・情動的特性もモジュール間の同調を引き起こすかもしれない.たとえば,喜びは「高さ」や「上」と,知性は「速さ」や「鋭さ」と.これらが文化普遍的かは経験的な問題だ
  • 感覚間の類推的対応よりもより深い類推は感覚モジュールが認知モジュールを同調させることで生じてきたはず.類推的思考は動機的発火の副産物である.モジュール間の発火パターンが共有されることで,同調が生じる
  • モジュール間結合は,恣意的なオブジェクトで恣意的な指示対象を表すような記号的思考をだけではなく,自動的なモジュール間の活性化を引き起こした.類推とメタファーは人間の認知の重要な側面であり,記号的思考と同じ理由によって生まれた.
    • モジュール間結合が生じると,あるモジュールで注意を向けられたオブジェクトは,自動的に他のモジュールの情報を活性化し,それがオブジェクト・ファイルに追加される.視覚・聴覚的なイベント・オブジェクトが補完おモジュールの恣意的な活性と連合されるのだ
  • モジュール間結合が生じる前は,機能的に分離したモジュールで,「文字通りの」方法でオブジェクトが表象されていたが,神経回路の発達を左右する遺伝的変異が生じると,結合がモジュールを超える.
    • 人間の心は表面的に異質なもの同士を結び付ける能力があるが,連合の過剰による崩壊を防ぐために,意味のない連合を抑制し,有意義な連合を強化する機構を発達させる必要があった
    • したがって,人間のオブジェクト・ファイルは単に演算子と被演算子を含むだけではなく,妨害を克服しトラックする機能を保つような機能も持っているはずであり,実行系回路がこの役割を果たしているのかもしれない

1.8 モジュール間演算子と人間の美学の誕生

  • モジュール間結合の結果として,記号的思考が可能になるだけではなく,演算子が新しいタイプの非演算子と結合するようになり,あるモジュールの演算子がこれまでは遮蔽されていた別のモジュールの非演算子に作用するようになる
    • たとえば,埋め込み可能な運動系の演算子が物理的な運動だけではなく,記号に作用できるようになれば,統語が生じるかもしれない.また,声の情動的な内容に作用する演算子が,声以外の要素に作用するようになれば音楽が生じるかもしれない.
    • 人間の芸術や美学は,演算子が脱遮蔽化され,非変化された結果かもしれない.生殖相手の健康を判断するような演算子が,視覚的光景に作用するようになることで,そこにエロティシズムや美が付加されるようになる.人間の演算子は領域一般的なもので,動物は音を聴くことはできるが,音楽を経験することはできない
  • こうした進化の過程は直接検証できないが,現代の人下の行動におけるモジュール間結合の役割を検証することで,モジュール間結合が祖先の心と行動にもたらした影響を推測することができるだろう

1.9 モジュール間演算子と抽象的,宗教的,因果的認知の誕生

  • 抽象化の本質とは,感覚入力には明らかではないパターンを検知する能力である.パターン抽出の能力は動物にもみられるが,それらはモジュール内に閉じている.モジュール間結合によってモジュール性が崩壊すると,パターン抽出が知覚的でないものにまで適用されるようになる
    • 知覚的パターン認知が抽象的なパターン認知へと変化した例としては,因果推論が挙げられる.動物も感覚入力に対して因果を見出すことはできるが,感覚入力に明らかでない因果関係を検知することはできない.その結果,動物の因果性検知は時空間的な連続性・同時性から生じる物理的な関係のみに限定される.
    • 人間は,時空間の連続性を超えて因果性を検知し,「今,ここ」を超越することができる.たとえば,生前や死後のことにまで気づくことができる.動物は知覚的に「点を結ぶ」が,人間は抽象的に「点を結ぶ」ことができ,知覚できないような存在物(神や悪魔)や多様な因果性(カルマ,幸運,のろい,祈り,運命)によってイベントを説明する
    • 宗教は,パターン認知の演算子が領域一般的になったことによって発展した.たとえば,有生性 animacy を検知する演算子が,モジュール間結合によって,領域一般的に作用することで,多くのイベントに意思や性格,意図性などが帰属されるようになる.人間の心が記号的になることで,先天的なアニミストになった
    • 人間の宗教性は,祖先における前記号的なパターン認知を,領域一般的にイベントへと適用することで生じた
  • 心の理論も,抽象的しこうする能力と共に現れたのかも.人間のみが抽象的で観察できない心的状態(「注意」とか「見ている」とか)で,行動を解釈するシステムを持つようになった (Povinelli et al., 2002).観察不能な心的状態を表象するには,観察不能な因果性のパターンを検知できなければならない.抽象的思考が可能になる前には,心の理論は不可能なものだったのかも.

1.10 遊びの本性の変化

  • モジュール間結合の結果,遊びの本性にも大きな変化が生じた.動物の子供の遊びは成体の行動(狩りや闘争)を真似することが多いが,人間の子供の遊びは,人間でないものを真似することにも及ぶ.
    • 人間は身体をどんなものの記号としても使うことができるので,動物やモノのや妖精や翼をもった卵といった存在しないものの真似もできる
    • 身体を記号化することができれば,それをコミュニケーションにも使える.Donald (1991) によれば我々の祖先は模倣がコミュニケーションの主要な手段であった段階を経ているという.

2. 記号的思考と人間の道徳の進化
2.1 記号的思考が道徳性を産み出した

  • 記号的思考の発生は人間に真の道徳性と非道徳性,正邪の可能性を与えた.いちど行為が記号化されると,行為は,善,悪,正,誤といった抽象的なクラスを表し,それらのインスタンスとなりうる
    • 記号的思考は,行動の新しい次元をもたらし,たとえば,具体的なものに対する所有権を超えた「アイディアの所有権に関するなわばり」の表現などを可能にした.
    • サルも,愛着や社会的知性,好悪,おそれ,なわばり…などに基づいて行動するが,これらは道徳性ではない.こうした社会的な感覚や思考のモードは道徳性の前適応として考えられる.
    • サルは道徳的判断や,禁止,規範,原理,法,(非)承認,命令,善悪の概念などを欠いている.サルが道徳性を欠いているのは,記号的認知を欠いているからで,動物は一般的に道徳的でも非道徳的でもなく無道徳 amoral なのだ
    • 動物が好ましくないことをした際に,我々は動物を牢獄に入れたりするのではなく,彼らの嫌悪することを行い,行動とその結果についての連合を形成させる

2.2 心における記号的カテゴリーの instances としての道徳的行為と非道徳的行為

  • 道徳性はシンボル化を行う能力,そして,カテゴリー的抽象化のレベルまで一般化を行う能力の双方に根差している.シンボル化によって,個々の行為は善/悪,許容可能/不可能,承認・非承認といったクラスのインスタンスになる
    • たとえば,肉を盗む行為は,いちどシンボル化されると,肉を盗む以上のことを行っていることになる.肉は,権利と結びついた「財産」というクラスのインスタンスなのだ.
  • 犬の非記号的心について考えてみよう.彼は今しゃぶっている骨をどのように考えているだろうか.骨は彼が今それを保持しているので,彼の骨なのであり,所有物のような抽象的な意味で犬は骨を所有しているわけではない
    • もし大きい犬が来て,彼の骨を奪っていったら,怒ったりフラストレーションを抱えたりするだろうが,「大きい犬が私の財産を保持している」とは考えない.「大きい犬が,それまで私が保持していた骨を保持している.私は骨を取り戻したい」.
  • 対照的に,人間は,誰が今保持しているかによらず,財産を所有することができる.これは私や社会のメンバーが私の表象と共にオブジェクトの表象を共通のオブジェクト・ファイルに位置づけることができるから
    • さらに,シンボルが語として書きだされることで,所有権は永久に存続する形式的な特殊なタイプの存在であるという印象をつくりだす.
    • オブジェクト・ファイルが誰かの心に産み出される限りにおいて,所有権(やその他の抽象的・法的な概念)は存在しうるのだ.誰も存在せずにこうしたオブジェクト・ファイルを生み出すことがないとしたら,私は家を所有しているとは言えない.
    • 法的/道徳的地位は,プラトニックなものではなく,記号的な心を必要とし,そうした心の中にのみ存在するのだ

2.3 道徳的行為と非道徳的行為のドメインは記号的でありうる

  • 記号的処理の別の効果は,行為が記号的な領域においてなしえるようになったというもの.
    • X 氏を憎んでいる場合,彼の会社や理論を誹謗中傷することができるのは,それらの記号が彼を表すことができるため.縄張りに関する古い衝動は,国益や知的財産といった抽象的な表象への侵害対しても引き起こされる.記号的領域における個人のみならず,社会運動やアイディアに対しても,攻撃感情を持つことができる.ひとを憎まずして,ひとのメンタリティを憎むことができる.こうしたことは動物には不可能.
  • 人間の心は記号の領域では,ほとんど制約のない力と自由を持ったため,記号的でないものの価値を低く見積もる傾向がある.
    • 特に身体に対してそうした傾向が当てはまる.身体は拒絶され,不純で衰えやすいものとして捉えられる.キリスト教は性行為と自慰を邪悪なものと考える.多くの宗教で,同様の理由から,女性は拒絶されやすい
    • さらに,男性は,高い道徳性を主張しつつ,女性の身体への性欲の抑圧することによって,女性に対する神経症,偽善,ミソジニーを発症する
    • 身体や快楽,充足を祝福するような宗教においてさえ,身体はシンボル化され,何か良いもの,生命や心正さ,愛を象徴するものとされる
    • 身体は良いものか悪いものか? これまで,どのグループもすべてのメンバーに道徳性を与えることに失敗し,無数の死や苦しみを招いている.その理由は,道徳性は,良さ,快適さ,正しさの感覚に基づいており,こうしたシステムは趣味やパーソナリティに由来し,それらはひとによって異なるから
  • こうした点において,William James のPragmatism and the Meaning of Life (1907) における深い洞察は示唆的である.彼によれば,(多くのひとびとにとって)真理とは事実と命題の正確な対応ではなく,モデルや理論と命題の整合性でもなく,単に,疑念の停止である
    • 疑念や不確実性は心地よくないものであり,こうした疑念を停止させようとし,確実性を求める.ひとびとは,正しいと思われるような信念にぶつかると,心地よさ,証明された感じ,自由さ,ときに神聖さを感じる.安全さと確かさへの到達が真理なのである.改宗者の熱狂は,疑念による不快から逃れて,確実さを求める欲求に由来する.
    • 一方で,作家や芸術家,思想家,探検家,科学者のパーソナリティは,疑念と不確実性を住処とし,新しい可能性の探求を楽しみ,ドグマを拒絶する
  • 真理観がパーソナリティに根差しているように,道徳性(神は存在するか,客観的な法則を実体化するか)もまた個人的な直観や欲望に根差している.ひとはこうした直観や欲望から出発し,理論を形成し,正当化するのだ.
    • John Rawls の正義論が,Jefferson 的な理想と良く類似した正義と法のモデルに行きつくのは驚くに値しない.なぜならこれこそが直観的な最終状態で,Rawls はそれを論証と根拠で正当化しようとしたのだから.彼が理論を提示したとき,結論は推論から創発するように見えたが,実際は逆である.道徳理論は,どんなに理性に基づいて構築されていても,それのみではひとびとから拒絶されるだろう.
    • 人間の道徳性は非合理的な衝動に根差しているが,理性に根差していることを装うべく合理的な正当化の衣をまとっている.道徳性や正邪の構想について衝突が生じるのは,ぼくたちが選択や活動のさまざまな領域において衝突する欲求と感覚をもっているからである
    • 人間の道徳性に共通なのは,記号的であるということである.身体をどのように価値づけるかは道徳体系によってそれぞれ異なるが,犬にはできない形で身体を記号として捉えているのである.犬にとっては,身体は身体に過ぎない.人間においては,乳児ですら,身体は記号なのである

2.4 人間の邪悪の複数の記号的起源を理解する

  • ここで,悪は,主体の心やそれがケアするものを傷つける(可能性のある)ものとして,主体の心に相対的に,操作的に,定義される.善はその逆で,主体の心やそれがケアするものを益する(可能性のある)もの
    • 帰結を重視するか,意図を重視するか,といった多くの立場がありうるが,ここでの目的にはこれで十分
  • 人間の行為や観念は記号的な表象に対して働きかけるため,動物には行うどころか考えもしないような行為や観念を持つことができる.
    • たとえば,X を信じている者,Y のようにみえる者を皆殺しにするという観念を動物は持つことができない
    • あるグループの個人全員を破壊しようと欲することができるのは,そうした個人は,実は,個人ではなく,記号だからだ.そうした記号は,何か嫌悪すべきもの,撲滅すべきものを表しており,個々人は同じ記号の変種に過ぎない.
    • 個人を同一の記号の変種として見なす時,個人はトークン化されている.「貪欲」や「女性」や「悪」といった概念を撲滅することはできないので,記号を消去しようとする.したがって,人間の悪の記号的起源は,個人のトークン化,および,それを記号として扱うことにある.
  • 人間の悪に立ち向かう方法は,単に望ましくない行動を止めるだけではなく,トークン化から脱することである.
    • 人間の脳は努力を最小化する傾向にあり,既存のカテゴリーや記号のトークンのレベルで個々のひとびと,オブジェクト,イベントを扱おうとする.
    • 変化盲もこの表れであり,ジェンダーや人種,年齢といったカテゴリーが切り替わらない限り,あるいは,よく注意して個々の特性を符号化しない限り,ひとが別のひとに置き換えられても気づかない
    • 過去の偉大な精神的リーダーは,トークン化の危険を良く知っており,憐みや愛を高め,また,個々のイベントの固有性に注意を払うことで,心を変えていかなければならないと強調した
  • 脳がトークン化する理由のひとつは,努力の最小化だが,それだけではない.
    • 扁桃体はあるトークン化のレベルで作動するようにデザインされており,それゆえ素早く危険を察知することができる.False alarm を高めても,miss を減らしたほうが適応的だったのかもしれない
    • トークン化やステレオタイプ化は感覚や注意の負荷を減らす認知的な戦略かもしれない
  • トークン化とは別の,悪の記号的起源は,他者に心理苦痛を与えることで快楽を得るサディズムである.サディズムには動物にはない心の理論が必要とされる
    • 前述したように,心の理論には記号的・抽象的思考が必要とされる.サディストは内的に犠牲者の心的状態をモデル化し,犠牲者に対して自らが及ぼす力から喜びを得る
    • 心理的苦痛は目に見えず,非記号的な心には表象できないため,人間だけがサディストたりえる
  • 興味深いことに,良心と共感を欠いていると考えられるサイコパスは,他者の痛みを概念化する能力を欠いていることから生じると思われる.その点でサイコパスは,サディストとは逆である
    • 犠牲者からすればどちらも悪であることには変わりはないが,良心をまったく欠くサイコパスに責任があるかどうかは微妙である
  • さらなる悪の記号的起源は,自らがおこなっている行為について自らに責任がないと概念化する能力である.つまり,自らは単に命令に従っているだけであるとする能力だ.Hannah Arendt はこうした人間の悪の起源を指して「悪の平凡さ」と呼んだ
    • 誰もが責任がないと感じている限り,その悪を止めるものは誰もいなくなってしまう
    • より新しい例としては,非合法であることを知りながら熱帯雨林の伐採に手を染める企業の社長で,彼は自らの家族を養わなければならず,また,彼がしなければどうせ誰かがすると考えている
  • また,すべての悪の起源は金である,あるいは貪欲さ,身勝手さであると一般的によく言われる.しかし,動物は,食べ物・なわばり・性において,貪欲で身勝手である.人間の貪欲と動物の貪欲との違いは,記号的であるかどうかだ.
    • 人間は,食べ物・なわばり・性の取り分を最大化しようとするだけではなく,それに記号的に結びついたあらゆる事物をも最大化しようとする.動物はナッツに群がるかもしれないが,人間は履歴書に名誉と威信を詰め込む
    • 動物は良い巣をつくって繁殖相手への魅力を増大させるが,人間は正しいキャリア,正しい意見,正しい友人を作って繁殖相手への魅力を増大させようとする
    • 一般的に,人間の記号的認知は,非記号的な霊長類の近縁と共有する欲求や情動(性欲,おそれ,攻撃性,貪欲,計略,なわばり,嫉妬…)の最上部で作動する. こうした非記号的な衝動を記号的に行使し充足させることに悪の起源がある
  • 悪の起源はほかにも多くあるが,最後に考察すべきは文化である.人間は記号的文化を持つため,情報や行動,態度は世代を通じて受け渡される.悪い意図や行為につながる情報や行動,態度が文化において培われるとき,文化自体が悪の起源となる
    • アメリカの資本主義文化は善も生み出したが,悪も同様に多く生み出す.市場は価格を決定するためのシステムであり,善悪・美醜・真偽を決定することはできない
    • また,資本主義が心に浸透するにつれ,これまで売買の領域ではなかったものにまで,市場的態度が踏み込むようになった.ひとまでもが商品とみなされるようになった.インプラント,手術によって商品を改良し続けなければならない.ひとが目的ではなく手段としてみなされる.出世のためにひとを利用する,知りながらの汚染
    • なげかわしい!

2.5 人間の善良さの複数の記号的起源を理解する

  • 記号的認知は人間に善をなす可能性も与えた.善(親切 kindness)は他者をトークン化しないことによって生じる.そうした時にはじめて他者の固有のニーズに応じることができるからだ
    • 他者の変化し続けるニーズに注意を払うためには,他者の心を内的にモデル化しなければならない
    • したがって,親切は動物には不可能である.動物は愛情ぶかい affectionate ことは可能であるが,親切であることはできない
  • 善をなすには,それを生み出すように精神を鍛練しなければならない.そうした精神とは,親切で憐みぶかいものであり,注意ぶかく,クラスやトークンではなく,個人へと焦点の向いたものだろう.
    • 悪と同様,善も動物と共有された非記号的な欲求や衝動の上に創発する.Affection, love, community, compassion, nurturing, protecting, parenting, commitment bonding…
    • しかし,善と悪が互いに排他的な欲求や衝動から生じると考えるのは,単純すぎるだろう.たとえば,過保護は受益者を害する.過小な攻撃性は愛するものを危険にさらす
    • 道徳性は向社会的な欲求の enactment と等置されてはならないし,非道徳性は破壊的な欲求の enactment と等置されてはならない
  • 善悪はぼくたちの心が記号的であるという事実から派生する.たしかに記号的な心から生まれた過去のさまざまな悪,今後のさらなる悪はぼくたちを苛むが,記号的な心は,何が良いか,正しいかを判断する能力も与えてくれた.人間の悪からの救済は,人間の善によるものでしかない.人間を救うことができるのは人間の心だけなのである.望みは,人間の心は変えられるということだ.人間の心を鍛練して良い記号的な心をつくりましょう.

Michael R. Dietrich によるコメント:記号的思考についてのなぜなぜ話?

  • 進化生物学の観点から Tse の主張とその正当化について検証する
  • 1970 年代の社会生物学の論争において,Gould & Lewontin は単に進化生物学の原理に整合的なだけの進化的説明をなぜなぜ話 just-so stories と呼んだ.この問題はこうしたお話は妥当に思われるが,きわめて想像的で,正当化された進化的説明であることは極めて稀であることだ.もし進化生物学が終わりのない適応主義的な仮説のプロセスに過ぎないのならば,反証不可能に陥る.価値がないと言っているのではない.Tooby & Cosmides によれば,なぜなぜ話の価値は,説明にあるのではなく,予測にあるのだ.「こういた理論なしでは探そうと思うこともなかったような新しいデザイン性質やメカニズムについての豊かで精緻な先行予測を産み出す」.この歴史を胸に Tse の理論を検証してみよう.
  • 遺伝的変異や神経結合に関しては,Tse の理論はなぜなぜ話だ.実りある妄想と言えるか?
  • モジュール間結合についての解剖学的証拠が示されておらず,神経構造と遺伝的基盤の関係もわからない.進化的理論を認めたとしても,道徳性が選択されたということは意味しない.おはなしのもっともらしさと統合力は,おはなしを正当化しません.
  • FOXP2遺伝子の知見のようなボトム・アップな研究がもっとないと説明に値しません.